名古屋を中心に魅力的な話し方・語り方を学ぶ。あがり症克服・かつぜつを良くするための意識を劇的に変える、起業・就職・仕事に役立てるためのschool

講師プロフィール

講師プロフィール

ご挨拶

みなさま、初めまして。
『Talking Master』という名で個人事業をしております代表の、藤原 明(フジワラ アキラ)と申します。

 この教室は、人前で話したり人前で原稿を読むことの苦手を克服したい方を対象とした講座です。
講師は元々極度のあがり症で、今この様にして教室を開催していることが夢のようです。
2017年4月現在まで、積極的にご参加いただいた方のほとんどの方は、
大勢の前で話すことの意識を随分変えられ、たった数人の前で話すだけでも呼吸困難になっていた企業のトップの方も200名を前にしても「あがらなくなった」と正直におっしゃられました。
また営業でお客さんの扉を開けるだけでも緊張していたのに、その不安がなくなった。と喜びの声を頂いております。
「話すとこに自信が持てた」「様々なアドバイスが役に立った」など、単なる場数ではなく、考え方と講師のニュアンスを聞くことで人生観、いや人生そのものが変わったと言っても過言ではないと思われます。

大勢の前という人前で話すことに自信やリラックスしながら話せるということは
結果的に年収、つまりお金も引き寄せることができると私は考えます。
国民の大多数が人前で話すことを怖がるわけですから、それができること自体が
すごい。それがお金に変わって当然。
いかに人前で話すこと、伝えることが大事か。
そして、ただ単にダラダラと話すのではなく、的確なフィードバックを講師や受講者から受け、職場ではとても教えてくれない指摘を良いことも悪いことも認めてさらに成長する。

「何のために自分は今ここで話すのか・・・」その落とし込みが自分にも相手にも落ち着きの空間を作ります。

人前で話せることに楽しみを持てる様になると、今まで遠慮していたことをやろうと夢が広がります。

せっかくの専門知識があるのに、1対1の対面だけで終わらすのはもったいない。そう考えます。

私の講義を人生で一度でもいいので受けに来てください。
そして、今までの考えをガラリと変え、お金も気持ちも豊かになってください。

私は人前で話す•語ることが得意でない人のために
全力を尽くし続けていきます。

                            2017年4月
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 講師はもとあがり症で、22年間もあがりと戦っていました。自分のような過去に苦手意識が強く困っている人を勇気づけれたらと考えています。

 人前で話すスキルを身に付けておられる方は意外にも少数であるのが現実です。
 本を読んで実践している講師・責任者の方もおられるでしょう。ですが、講師・責任者であるがゆえに下に立つものは何も話し方に注意などしません。わかりにくいとは言えません。
 他者からの指摘を受け、人を惹きつける話し方ができれば、相手からも信頼得、あなたのこれからの収入にも大きな影響を与えることでしょう。

 また、ナレーションという原稿読みを組み込んだのは、朝礼の司会など上司や社長の言葉を代弁して原稿を読むことが、女性は特にいやでも訪れることと思います。

そんな時に、声が震えたり、何の感情もない読み方だと、聞いている聴衆も頼りなく感じます。上司が聞いていれば、なお年収にも響くことでしょう。

 あがり症、極度のあがり症の方であれば、いかにじぶんの話している内容に意識が集中するようになれば、あがりとは無縁に近い状態になることでしょう。
 人と喋ったり、人前でスピーチするとき雑になる方も、スピーチの訓練をすることで、整理して相手に聴きやすい話し方になるはずです。

 講師は、あなたのお悩みを伺い、全力で向き合います。

auto-geKe6x_3.png講師 藤原 明

History

私が、この世に生まれたとき、心室中隔欠損症という稀に起こる先天性の心臓病で生まれました。
心室中隔欠損症という病気は、心臓の右心室と左心室の間に小さな穴が開いている状態のことを言います。
赤ちゃんの状態で治療することは難しく、大きくなって自然に穴がふさがればよいのですが、中学生になっても塞がることはなく、医師に今すぐ手術したほうがいいと告げられました。が、同伴していた父は経済的な理由からか私を入院させませんでした。

4年後、結局施術をして成功したのですが、そのときは高校3年の夏、退院した時、もう周りは就職が決まっており、わたしは安定の公務員になる目標が途絶え、それからが私の社会人の始まりでもあります。

子供時代

私が小学生のころ、勉強が大のきらいで大好きなのは運動をすることでした。学校から帰っても、友達の家まで行き、野球やサッカー、ドッチボールをしようと誘い毎日のように遊んでいました。
全校生徒が集まって、縄跳び4分間に挑戦した時も自分なりに工夫して4分飛びきったことを覚えています。タイムを計っている先生の1分刻みの号令に、まずは1分そして1分というぐわいです。

小学4年の時に全校朝礼で集まった時、周りの生徒が「何か心臓がドキドキする」というんです。
わたしは「心臓はザクザクするんじゃないの?」・・・。
ここで、普通の人は心臓がドキドキするんだ。
あっ、そういえば僕は心臓病だったんだ・・・。なんで自分だけ・・・。まあ、50歳まで生きられたらいいや・・・。
そんな風に考えていました。
嫌いな勉強なんかしなくていいやと。

小学5年の時、授業中の勉強だけはきいても理解できなかったので姿勢だけはよくしようと思い、分度器で測れば90℃になるようなあほみたいな姿勢を毎日続けていました。

そんな時です。私は5クラスあるうちの3番目のクラスなんですが、1組2組3組が一つのグループになって校内音楽発表会の練習をしているとき、私はメロディオン(鍵盤ハーモニカ)担当だったんです。
急に担任の先生が寄ってきて、私を指揮者に指名したのです。理由は、普段の姿勢がいいから・・・。当時はまいりました。

最初は、私の指揮のスピードが速く、演奏者から軽いブーイング。
だんだん回数を重ねるごとにゆっくり指揮することができました。

発表会当日。私の足は、ガクガク震えていたました。そのまま、指揮台に上がり、なんとか上手くやり終えました。

この当時、自分があがり症とかそんなことは何も思いませんでした。

中学

中学入り、私はバレーボール部に入部しました。
動機は、1984年のロサンゼルスオリンピックを見たとき、バレーボールの面白さに見入ってしまったことです。
2年先輩の3年生が退部したあと、私はすぐにレギュラーになりました。運動神経はよかったんです。
ですが弱い、1年上の先輩が下手すぎました。レギュラー6人中私だけ1年後輩。偉そうな先輩もいましたが、口だけで実力が伴わない。でも、私を高く評価してくれるいい先輩ばかりでした。そんな先輩たちが去り、私が2年生の時にキャプテンになりました。

後輩が19人いたんですが、私は後輩の人気者でした。この時ぐらいからか、自分のしゃべりが面白いと思われるようになったのだと思っています。

このまま、順調にバレーボールに励み、高校も推薦で入り、ゆくゆくは全日本のメンバーに・・・。
そう思ってた矢先、たまたま父と生まれた当時にかかっていた病院に行きました。
診察後、医師からは部活動はやめてくださいと。手術が必要ですと。
父と私は医師の話しだけ聞いて、帰宅しました。
私は、バレーボール部をやむなく退部しました。

それから、何の希望も無くなり、この時から国語の授業で本を読んだとき、猛烈に声が震え、あがり症の始まりでもあります。

勉強嫌いな私が高校生に入ってから、私は義務教育ではなく、親の金で授業を受けているということを感じ、真面目に勉強をしてクラスでトップの成績を維持していました。

高校

高校2年生になり、クラスの局長(代表)に選ばれ、局長として1年から3年生合同のまえで作文を読んだんです。

心臓はバクバクで、最初から最後まであがりっ放しで、自分が何を話しているのかさっぱりわからないままでした。
もう今すぐ家に帰りたい気持ちでした。

それからは、もうこういう人前で話すということ事態を極力さけようと、ほぼ無意識に感じるようになりました。

高校3年生になり、冒頭のとおり就職試験の時に手術をし、公務員とは別の仕事をすることになりました。

社会人

卒業してから、30歳までは事務職や製造、物流、アルバイトと人前で改まって話すことは避け続けていました。

30歳を過ぎてから、地元で働いていた正社員の仕事を退職し、地元を出て愛知県にあるトヨタ自動車に就職しました。

物流の経験が長く、物流の部署に配属になりました。
この部署では、朝礼時、部署員が日替わりで順番に日によって文言が変わる安全唱和をみんなの前で読むんです。
たった2行の、たった25文字程度です。
私は、人前で話すことすらド緊張するのに、さらに自分の番が回ってくるプレッシャー。
毎回のように、声が震え、緊張し、顔が引きつり、その状態で業務を行っていました。その1日はいつも最悪の状態でした。(この話を聞いていただけた時点で、本当にあがり症だったんだとお気づきになったと思います。)

これを治さなければいけないとおもい、「あがり症克服」というようなタイトル本を何冊か読み、実践しました。

まったく効果なしです。

そして、病院へ行って悩みを聞いてもらい、それ専用の薬をいただきました。

安全唱和をするまえにその薬を飲み、実践すると効果抜群で、全く緊張しませんでした。ただ、体がふわふわしていたのを覚えています。
これはいい!と思ったけど、だんだん薬が効かなくなり、このまま飲み続けるのは、たとえ副作用がないと医師に伝えられても良くはないと判断し、薬を飲むのを一切やめました。

その反面、プライベートで知人や女性とおしゃべりをするとき、よく話しが面白いといわれました。おかしな男です。

トヨタで数年働き、会社員として働かずに何か自分でやりたいと横浜に住んでいた知人と相談し、私は初の東京に進出することにしました。30半ばのことです。

知人と事業をするという目的が決まり、人前で話すという苦手を克服しなければまずいと感じました。
そこで、東京の話し方教室でどこかないかと検索していたところ、値段も手ごろな教室に3か月間通うようにしました。

話し方教室

初日スピーチをしたとき、大失敗というか大恥をかきました。(恥をかいたと自分が勝手に強く感じました。)

なぜかというと、私はスピーチ(自己紹介)の内容を丸暗記したんです。文字だけを思い出そうとして、頭が真っ白になり、沈黙が30秒続きましたが、無理やり「以上で自己紹介を終わります」と何とか言えました。ずっと緊張していました。

悔しくて悔しくて、絶対ちゃんとスピーチをしてやると思い、スピーチの練習をし、できるだけ話している内容をイメージできるように心がけしていました。

真面目なスピーチをするときもありましたが、楽しかったことを話すときは、だいたい笑いを取れるようになりました。

3クラス合同80名ぐらいの前でスピーチしたときは、私のスピーチが、他のクラスからも私のスピーチの内容を覚えてもらえるようになりました。

最後のスピーチコンテストで、過去の苦労から現在を話し、少し笑いを加え、優勝させていただきました。(本当は優勝だろうがワースト1位だろうがもう関係ないと思っていました。)

ただ、「あがり症」に関しては、極度という言葉がとれただけで、「あがり症」は治りませんでした。

その後、知人と事業を起こすという事がうまくいかず、
破たんとなります。

芸能関係のレッスン・出演

折角、話し方教室も通ったし、しゃべる仕事はないかとまた検索していると、東京アナウンスアカデミーという放送タレント・DJコースというのに興味を持ち、渋谷区恵比寿まで1年間通うことにしました。

自分で考えたフリートークや、決められたトーク原稿にアレンジを加えることで、笑いが起こり、私の「面白い」という印象を与えることができました。
反面、真面目な話はほんとに真面目でつまらないようにも思えました。
1年後、いろいろな芸能プロダクションのオーディションを受けることになるんですが、
私は、当初、フリートークが活きるDJを目指していたのですが、年齢的にも若くないと判断し、ナレーションなら今の年齢でもいけるのではと、ナレーターをメインとしたプロダクションのオーディションを受け、特別レッスンを受ける事になります。

レッスンのなかで、表現力がないといわれ、別のプロダクション事務所からTVドラマの仕事を受け、何度か出演したりもしました。

ナレータープロダクションでレッスンを2年続け、業界のことをいろいろ知り、私はこの方向性では成功はしないと感じ、プロダクションを辞めました。

決断

「あがり症」という部分に関しては、原稿を読むときはほぼあがらなくなりました。
ただ、人前でスピーチとなると、上下関係の厳しい環境の職場だとあがるという状態になることに気づきました。(今の私は、1000人の前でも、10000人の前でも最初は緊張したとしても、最初だけであとはあがらない自信があります。)

それから、私に何ができるのだろうと考えたとき、
私の過去のように、人前で話し・人前で原稿を読むのが苦手としている方のための教室を開こうと思いました。(名古屋を中心にしているのは、東京には似たような教室がたくさんあることです。)

そして、ただスピーチの場数を踏むのではなく、ナレーションという原稿を『深いようでシンプル』に読むことで内容に意識を向けてもらう必要があると(演劇的な考えであがりを軽減する)考えました。
(ただ、あがり症克服はそれだけではないという事も伝えていきます。実戦向きではない小道具は使用しません。)

このスキルを身に付けることが、みなさまの一生の人生の手助けになってもらえたら幸いです。


経歴

2016.7.31/8.1
東京中央区銀座 一般財団法人JADP メンタル心理カウンセラー/上級心理カウンセラー取得

2016.7.3
株式会社ドクターメンテ様より 『独立支援協会 マジ起』のナレーションを務めさせていただきました。

2016.1.13・3.4
公益財団法人愛知県労働協会(愛知県委託事業 後援:愛知労働局)「再就職支援基礎セミナー」の講師を務める。

2015.9
東京都渋谷区株式会社Links様より電子書籍の出版依頼を受けAmazon,kindleストアより「スピーチ力でお金を稼ぐ!魅力的に話す7つのステップ」を出版

2008.8~2008.10
東京話し方教室第64期スピーチコンテスト優勝
   受講12回+トーク会複数回(東京、新宿・秋葉原・六本木ヒルズ・市ヶ谷)

IMG_1435.png

2009.9~2010.9
  東京アナウンスアカデミー放送タレントDJプロ卒 (東京・恵比寿)
2010.10~2012.8
   芸能プロダクションCSRコーポレーション(東京・南青山) 
2013.1 
   ボイスサンプル制作会社ウインドカム
   ”ナレーターボイスサンプル音源”提供(東京・荻窪)
ナレーション
2013.3 
   シンメトリー・ジャパン講師養成講座受講 (東京・銀座)
2016.6                                             シンメトリー・ジャパンプレゼンテーションセミナ―受講(東京・西新橋)
2003.4 
   アサヒビール西条工場内フォークリフトコンテスト準優勝(愛媛・西条)


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